2011年4月10日日曜日

国内メディアは電話取材ばかり…「ありがとう」重い意味

マスコミ各社には、このような声をしっかりと届けて欲しいですね。
国が避難指示を出していないのですから・・・

「(取材に)来てくれて、ありがとう」。東日本大震災の被災地、福島県南相馬市で出会った年配の女性はそう言いながら、私の手を握った。

 地震、津波に加え、終わりの見えない福島第1原発事故の影響に苦しむ南相馬市は、市域の約8割が避難指示(原発から半径20キロ圏内)と屋内退避指示(同20~30キロ圏内)の対象だ。地震前、屋内退避地域には約4万人が住んでいたが、原発事故で一時は1万人を切るまでに減少。だが、先月末頃から数千人程度が帰宅しているという。

 今月4日に屋内退避地域に入ったときの印象は、「ゴーストタウン」を思い描いていた予想とは違った。通りを歩く人は少ないが、車は走り、いくつかの店やガソリンスタンドなども開いている。市役所に行くと被災した証明書を求める市民が列をなしていた。

 長引く避難所暮らしに疲れたこと、市内の放射線量が原発から30キロ以上離れた福島市よりも低いこと、経営する店の倒産回避のため…。理由はさまざまだが、「ほとんどは生きるためにやむにやまれず戻ってきた人たち」と市の職員は言い、政府の曖昧な指示が「蛇の生殺し状態」を生んだと批判、街の実情が伝わらないもどかしさを嘆く。

 聞けば、これまで現地に足を運んで取材したのは地元紙を除けば、一部の週刊誌などごくわずか。海外メディアが積極的に入ってくるのとは対照的に、「30キロ圏内を敬遠する国内メディアは電話取材ばかり」と耳の痛いことを言う。

 冒頭の女性とは、屋内退避地域にある病院で出会った。カメラを肩にかけた私の姿を認めると、女性の方から「話したいことがあるの」と声をかけてきた。

 屋内退避指示が出た後、南相馬市に物資がまったく入ってこなくなったため仕方なく福島市内へ避難したこと、ストレスで体調を崩す家族があり意を決して戻ってきたこと、先が見通せない不安などを一気に話し、最後にこう言った。

 「来てくれて、ありがとう。話を聞いてくれて、ありがとう。私たちのことを伝えて」

 「ありがとう」の重い意味。被災地では、まだまだ声なき声が埋もれている。

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