本当に、先人の教えというのは、当たっているんですね。バカにはできないです。私たちも、遺していかないといけませんね。
岩手県野田村の野田村保育所の建物は津波で無くなったが、約90人の園児と14人の職員は全員無事。保育所は月1回のペースで避難訓練を行っており、地震発生時はちょうど訓練の準備中だった。なぜそこまで備えていたのだろうか。
保育所では当日、午後3時から毎月恒例の避難訓練を予定していた。訓練は火災、地震、津波の3つの想定で行われており、津波訓練の場合、15分以内に約500メートル離れた「高台の家」に避難する。
保育士の廣内(ひろない)裕子さん(53)はこの日、園児たちの昼寝をいつもより早く切り上げ、着替えをさせていた。そのとき地震が起きた。
廣内さんは「大地震が来たら『源平坂』に逃げろ」という地元の言い伝えを思い出していた。源平坂は避難場所からさらに奥にある高台へと向かう坂だ。
0歳児はひもで背中にくくり、1歳児10人は「避難車」と呼ぶ大型の乳母車に乗せた。上履きのままの園児たちが続いた。
500メートルほど進み、避難場所である高台の家にたどり着いたが、黒々とした波の塊が防潮林を超え、海岸沿いの国道を走る車をのみこもうとしていた。
一行はさらに約500メートル離れた源平坂を目指した。避難車のタイヤが畑にめり込み気持ちが焦ったが、必死で源平坂を登りきった。そのとき坂の登り口で津波が止まったのが見えた。
人口約4700人の野田村では震災で28人が死亡した。「源平坂」の言い伝えに助けられたという廣内さんはこう語った。
「津波の怖さはだんだん薄れる。先祖や親から教えられたように、子供たちや若い職員にも伝え続けていかなくてはならない」
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