2011年4月30日土曜日

元気出して「ファイト新聞」=避難所の小中学生が発行―宮城・気仙沼

楽しいことしか書かない、いいですね!日本の未来は、君たちにかかっています。明るく、日本を照らしてください!!

 宮城県気仙沼市の市立気仙沼小学校で、東日本大震災で被災した小中学生が日々の話題をカラーペンで書き込んだ日刊の壁新聞「ファイト新聞」を発行、体育館で避難生活する被災者らの目を楽しませている。
 新聞は「みんなが暗い顔をしているから」と、子供たちが3月18日に創刊。4月の雨の日の紙面では「雨ですごく寒いです。かぜをひかないようにしましょう」と呼び掛け、風邪の対処法について保健師から聞いた「インタビュー記事」も掲載した。
 体育館の一角にある編集室には専用の長テーブルが設置され、新聞発行の話を聞いた人からは文房具やインスタントカメラなど、「商売道具」も届いた。家族で避難している中学1年の副編集長小山奏子さん(12)は「とにかく楽しいことしか書かない」と「編集方針」を説明した。
 奏子さんの父、武さん(47)は「笑顔を提供している思う」とコメント。避難生活を送る小原木きみ子さん(69)は「毎日出してくれていることに感謝しています」と新聞に目を凝らした。 

乳児置き去り死、容疑の両親逮捕…横浜

うわー、どんな神経してるんだろう?9か月の子どもを置いてパチンコだなんて・・・


神奈川県警鶴見署は30日、横浜市鶴見区上末吉、会社員大町勇希容疑者(30)と、妻の綾容疑者(28)を保護責任者遺棄容疑で逮捕した。

 発表によると、大町容疑者らは29日、長男の燈希(ともき)ちゃん(生後9か月)を自宅に置き去りにした疑い。同日午後4時5分頃、大町容疑者らが外出先から戻った際、燈希ちゃんが倒れており、病院に運ばれたが、死亡が確認された。大町容疑者らは、「午前中からパチンコに出かけていた」などと話しているという。燈希ちゃんに目立った外傷はなく、同署が死因を調べる。

団結の球場 楽天ファン・仙台サポーター 「普通に戻り始める日」

明るいニュースですね!賛否両論ありますが、やはり必要なんですね。




スポーツに声援を送る光景がようやく仙台に戻ってきた。プロ野球の楽天とサッカーJ1の仙台はともに勝利を収めた。

 プロ野球の楽天は試合開始前、震災からの一日も早い復興を願う開幕セレモニーを企画した。2万人を超える観客で埋まった本拠地のクリネックススタジアム宮城。復興の最前線で陣頭指揮を執る宮城県の村井嘉浩知事が「県民の力を結集して前に進んでいきたい」と、高らかに“プレーボール宣言”をした。

 星野仙一監督は「ようやく皆さんのもとに帰ることができました。最後までくじけず、耐えて耐えて、しっかり戦う」と今季の健闘を誓った。宮城県南三陸町で被災し、同県加美町の中学校に転入している今野靖子さん(14)と佐藤琴美さん(12)が仙台市在住の歌手、さとう宗幸さんと試合前の国歌斉唱に臨んだ。試合は田中将大投手の活躍で見事ホーム開幕戦を飾り、ファンの大歓声がこだましていた。会社の同僚が津波被害にあった宮城県名取市の今野順子さん(40)は「新たなスタートが最高の形で切れた」と笑顔をみせた。

 一方、仙台のユニホーム姿のサポーターが詰め掛けたユアテックスタジアム仙台は、黄色で埋め尽くされた。浦和戦の勝利に人々は日々の苦しさを一時忘れた。震災で知人の多くを亡くしたという同県石巻市の自営業、武山ひろ江さん(51)は「今まで我慢するのが当たり前の生活を送っていた。応援をしながら、どんどん気持ちが楽になっていった」と感慨深げだった。スタジアムでアルバイトをしている仙台市の大学4年、安西美晴さん(22)は「これから普通の生活に戻り始めていく、そんな日だと思う」と笑顔で「4・29」を言い表した。

2011年4月29日金曜日

「地震来たら源平坂に逃げろ」 先人の教え、園児救う

本当に、先人の教えというのは、当たっているんですね。バカにはできないです。私たちも、遺していかないといけませんね。


岩手県野田村の野田村保育所の建物は津波で無くなったが、約90人の園児と14人の職員は全員無事。保育所は月1回のペースで避難訓練を行っており、地震発生時はちょうど訓練の準備中だった。なぜそこまで備えていたのだろうか。

 保育所では当日、午後3時から毎月恒例の避難訓練を予定していた。訓練は火災、地震、津波の3つの想定で行われており、津波訓練の場合、15分以内に約500メートル離れた「高台の家」に避難する。

 保育士の廣内(ひろない)裕子さん(53)はこの日、園児たちの昼寝をいつもより早く切り上げ、着替えをさせていた。そのとき地震が起きた。

 廣内さんは「大地震が来たら『源平坂』に逃げろ」という地元の言い伝えを思い出していた。源平坂は避難場所からさらに奥にある高台へと向かう坂だ。

 0歳児はひもで背中にくくり、1歳児10人は「避難車」と呼ぶ大型の乳母車に乗せた。上履きのままの園児たちが続いた。

 500メートルほど進み、避難場所である高台の家にたどり着いたが、黒々とした波の塊が防潮林を超え、海岸沿いの国道を走る車をのみこもうとしていた。

 一行はさらに約500メートル離れた源平坂を目指した。避難車のタイヤが畑にめり込み気持ちが焦ったが、必死で源平坂を登りきった。そのとき坂の登り口で津波が止まったのが見えた。

 人口約4700人の野田村では震災で28人が死亡した。「源平坂」の言い伝えに助けられたという廣内さんはこう語った。

 「津波の怖さはだんだん薄れる。先祖や親から教えられたように、子供たちや若い職員にも伝え続けていかなくてはならない」

「震災気にならない」中国からの日本ツアー再開

正しい情報が行き渡れば、今までと同じように来てくれる様になりますかね?


震災後、中止されていた中国本土からの日本ツアーが再開され、29日午後の便で、中国人旅行客10人が関西空港に到着した。

 国土交通省近畿運輸局は「巨大市場を持つ中国人客が戻ってくる意味は大きい」と歓迎している。

 10人は旅行会社「日信観光」(千葉県富里市)の北京支店が企画したツアー客で、2日まで大阪城や京都の寺などを巡る。北京市内の女性客(65)は「震災や原発事故は気にならない」と話した。日信観光の担当者は「日本ツアーの需要は大きく、正しい情報さえ中国国内に伝われば、徐々に回復するだろう」としている。

食中毒で男児死亡=焼き肉店食事の24人発症―富山

楽しいはずの外食で、亡くなってしまうなんて、可愛そうですね。生のものは怖いなあ。


富山県は29日、同県砺波市の焼き肉店で食事をした24人が下痢や発熱の食中毒症状を訴え、うち溶血性尿毒症症候群(HUS)の疑いで入院していた10歳未満の男児1人が死亡したと発表した。男児からは腸管出血性大腸菌O(オー)111が検出された。ほか23人のうち5人が重症。
 県によると、24人は21~23日、砺波市の焼き肉店「焼肉酒家えびす砺波店」で、ユッケを食べたという。死亡した男児は21日夜、父親と2人で同店で飲食。24日に嘔吐(おうと)や下痢と発熱、血便などの症状を訴え入院し、29日午前に死亡した。
 食中毒症状を起こした24人のうち14人からO111やO157が検出された。

2011年4月28日木曜日

福島第1被ばくは別枠=最大350ミリシーベルトに―「働けなくなる」東電検討

もう、めちゃくちゃですね・・・数字いじりではなくて、しっかり現場作業員の被曝管理をしてくださいね!


東京電力の松本純一原子力・立地本部長代理は28日の記者会見で、福島第1原発の作業員の被ばく限度について、今回の事故の緊急作業による被ばくと、通常作業での被ばくを別枠として扱うことを検討していると明らかにした。
 緊急作業による被ばく限度は特例で250ミリシーベルトとされているが、通常の限度は1年で50ミリシーベルト、5年で100ミリシーベルト。別枠で扱わないと、緊急作業に従事して通常の限度を超えた人が他の原発で働けなくなるという。
 合計すると5年間で最大350ミリシーベルトとなるが、松本代理は健康上の問題はないとして、厚生労働省や経済産業省原子力安全・保安院と協議する考えを示した。 

東電の賠償免責なし=細野補佐官

電気料金値上げの前に、もっと報酬カットだろ!って思いますよね。50%減って、厳しいとか言ってんじゃないよ!!


 細野豪志首相補佐官は28日、「政府は震災、津波の事由をもって、事業者としての東京電力の責任が免れるという考え方は採っていない」と述べ、福島第1原子力発電所の事故に伴う損害賠償で東電が免責されることはないとの見解を示した。政府と東電による対策統合本部事務局長としての記者会見で語った。細野氏は「一義的な責任は東京電力にあり、当然、賠償の責任は負うべきだ」と強調した。

15mの津波に耐える防波堤計画…福島第一

もう、起きてしまったことは仕方ありません。これ以上、深刻化させないでください。


 東京電力は28日、福島第一原発の周辺に、高さ15メートルの津波でも被災しない防波堤を造る計画を明らかにした。

 第一原発は廃炉になる可能性が高いが、核燃料の取り出しなどには時間がかかるため、それまでの防災対策を充実させる必要があると判断した。

 東日本大震災によって、同原発は高さ15メートルの津波に襲われた。防波堤の構築には時間がかかるため、緊急措置として岸壁に土のうを積むなどの津波対策も並行して行う。高濃度の汚染水をためている敷地南側の集中廃棄物処理施設の周辺を優先して進める。

2011年4月27日水曜日

警察署に車突っ込む=男を逮捕、調べ中死亡―栃木

怖いですね。薬物中毒なのでしょうか?震災のストレスで、薬物に手を出す人が増えないといいですが・・・大戦後、一時期増えたみたいですもんね。


 27日午後1時25分ごろ、栃木県小山市の県警小山署の正面玄関に車が突っ込み、自動ドアやコンクリート製の柱を壊し、1階窓口付近で止まった。運転免許の更新手続きをしていた無職男性(77)が転んで軽傷を負った。
 同署は、車を運転していた住居不定、職業不詳奥貫高章容疑者(32)を建造物損壊容疑の現行犯で逮捕した。しかし、同容疑者は同署で取り調べ中に意識不明となり、搬送先の病院で約4時間後に死亡が確認された。
 同署によると、奥貫容疑者は突入した際に上半身裸で靴を履いておらず、奇声を発していたという。
 取り調べ中も自ら壁に頭をぶつけ、支離滅裂な言動をしていたことから、同署は薬物を使用した可能性もあるとみて司法解剖して死因を調べる。 

校庭表土除去の処分予定地、住民から不満相次ぐ

除去したものの処理も、ただ埋めたり燃やしたりしたら、放射線物質が撒き散らかされるからね・・・どうしたらいいんですか、学者さん!!


 福島県郡山市は27日、福島第一原発事故で放射線量の数値が高かった小中学校の校庭などから除去した表土の処分予定地の住民に対し、緊急説明会を開いた。

 市内にある予定地の住民からは「事前に説明がなかった」などと不満の声が相次いだ。

 約100人の住民に対し、市幹部は「子供たちが安心して屋外活動を行えるようにするため」などと理由を説明。住民からは「住民の同意を得ていない」「子供はここにもいる」「ここは原発処理場ではない」などと反発の声が出た。市側は「単なる土と考え、事後説明になって申し訳ない」と謝罪し、説明会を再度開く考えを示した。

汚染水処理、6月から作業…統合本部が基本計画

汚染水は、今後も増え続けますよね。貯蔵するところはあるんでしょうか?


 福島第一原子力発電所の事故対策統合本部は27日、放射性物質を高濃度に含む汚染水の処理計画を発表した。原子炉冷却作業の障害になっている汚染水を浄化処理する機器を5月に搬入し、6月の運転開始を目指す。

 水処理は集中廃棄物処理施設で油分を除去後、ゼオライトという鉱物の吸着剤を用い、放射性セシウムを1000分の1に低減させる。その上で、特殊な薬品を用いて放射性物質を沈殿させて除去し、最終的には濃度を1万分の1にする。

 1日当たり1200トンの処理能力があり、1~3号機の建屋などの汚染水6万7500トンに、新たに分かった4号機の2万トンを加えた合計8万7500トンを73日で処理できる。現在、原子炉冷却のために注入している1日当たり約500トンが全量漏れ出したとしても、年内には全量を処理できるとしている。

2011年4月26日火曜日

<東日本大震災>「震災遺児」を55人確認 宮城県で

辛いですね・・・しっかりとケアしてあげて、強く成長できるようにしてあげましょう。


 宮城県は25日までに、東日本大震災で両親が死亡したか行方不明になっている「震災遺児」を55人確認した。県内では学校が徐々に再開しており、県や沿岸部の自治体は学校を通し、さらに多くの震災遺児が確認されると見込んでいる。

 県子育て支援課によると、県内の震災遺児の内訳は、名取市18人▽石巻市14人▽仙台市・女川町各5人▽気仙沼市3人--など。計55人のうち53人は親類に保護され、2人が県内の児童福祉施設に入所している。

 県はこれまで、県内外の児童福祉司らを各避難所に派遣し、聞き取り調査してきたが、児童の心情を考えて直接接触しないようにしてきた。避難所を1度巡回しただけでは実態が把握できず、調査は難航している。

 津波被害が甚大だった石巻市の震災遺児の担当者は「これまでは児童の安否確認に追われ、両親の状況まで確認できていなかった。学校がやっと再開し、保護者の実態把握はこれから。今後ますます震災遺児が判明してくると思う」と話している。

香取市の農家、制限従わずにホウレンソウ出荷

・・・「自粛」ではなく、「制限」ですよ?!こんなことじゃ、「市場に出回っているものは安全」だなんて、信じられなくなってしまいますよ・・・


 千葉県は26日、同県香取市の農家10戸が、ホウレンソウの出荷制限に従わず、7885束を同県匝瑳(そうさ)市の八日市場青果地方卸売市場に出荷していたと発表した。

 ホウレンソウは首都圏の小売店を通じて販売されたとみられ、農家と同市場に回収を求め、厳重注意した。

 県によると、政府の原子力災害対策本部の指示で、4日~22日の間に出荷を制限しており、農家と市場はそのことを分かった上で取引していた。県に26日、関係者からメールで情報が寄せられ、発覚した。

福島第1原発 汚染予測を公表 累積線量が浪江町で高い値

もっと早く、正確な情報公開を望みます!10mSvを超えるところは、大丈夫なのですか?


文部科学省は26日、東京電力福島第1原発から放出される放射性物質による周辺の汚染状況を予測したデータを公表した。現在の水準で放出が続いた場合、来年3月11日までの1年間の予想累積線量は、福島県浪江町赤宇木椚平(原発の北西24キロ、計画的避難区域)で235.4ミリシーベルトに上った。福島市や福島県南相馬市でも、一般人の人工被ばくの年間限度量(1ミリシーベルト)の10倍に当たる10ミリシーベルトを超えると推定している。


 作製には、文科省が日常的なモニタリングを実施している測定地点(2138カ所)のデータを使った。地震翌日の3月12日から4月21日までの実測値を足し合わせた累積線量に加え、4月22日の線量がこれからも続くと仮定して来年3月11日までの累積線量を算出。各地点では、1日のうち8時間を屋外、16時間は木造家屋の中で過ごすとした。木造家屋は屋外に比べて被ばく量が4割低いという前提だ。

 その結果、原発の北西方向を中心に高い累積線量が予想された。政府は、原発の半径20キロ圏外で、年間累積被ばく線量が20ミリシーベルトに達すると見込まれる地域を「計画的避難区域」に指定したが、同区域内では浪江町、飯舘村、川俣町などの10地点で20ミリシーベルトを超えると推測された。一方、現在は指定されていない同県伊達市霊山町(原発の北西48キロ)で年間21.2ミリシーベルトと予測された。

 同省は、計画的避難区域を指定した今月11日にも同様の予想地図を公表している。その後のデータ更新により、「年間20ミリシーベルト」の範囲はやや狭まっているという。

 今後、データや気象条件を更新し、月2回の頻度で公表する予定。内閣府原子力安全委員会は「引き続き天候などを考慮して線量の推移を監視していく必要がある」としている。

 また同省は今月24日時点の空間線量の測定地図を公表した。今後、土壌の汚染に関する地図も公表する予定だ。

2011年4月25日月曜日

<和牛>また口蹄疫か 宮崎・都城の5頭

日本、踏ん張りどころなのかもしれませんね。頑張るしかありません。

宮崎県は25日、家畜伝染病・口蹄疫(こうていえき)の感染が否定できない症状を示す和牛5頭が都城市の繁殖農家で見つかったと発表した。採取した検体を同日夜、動物衛生研究所(東京)に送った。遺伝子検査結果は26日朝にも判明する。

 県によると、農家は和牛10頭を飼育。5頭は口の中にただれや傷が見つかった。

 県は今月作成した防疫対策マニュアルに従い、検査結果を待たずに公表し、防疫対策準備に着手。都城市に現地対策本部を設置し、殺処分などの防疫措置に備えて作業人員の確保や資材を準備している。また、陽性であれば、この農家から半径1キロ以内の畜産農家32戸への緊急立ち入り検査や、10キロ圏内の大型農場も含む280戸計約15万7300頭を対象とする目視検査、電話聞き取りを始める。半径20キロ以内の農場にも家畜の移動自粛を要請している。

 宮崎県では昨年4月、10年ぶりに口蹄疫の発生を確認。牛や豚など家畜約29万頭を殺処分した。

福島・郡山市、校庭28か所の表土除去へ

徹底的に、除染してください!子どものために!!

 福島県郡山市は25日、福島第一原発事故による放射線量の数値が高かった市内の小中学校と保育所の計28か所で校庭の表土を除去すると発表した。

 県教育庁によると、県内の教育機関で放射線対策の土壌改良を行うのは初めて。

 国の暫定基準では校庭の放射線量が毎時3・8マイクロ・シーベルト以上の場合、屋外活動を制限するとしており、県内13の小中学校、幼稚園などが該当していた。

 郡山市で基準以上だったのは小学校1校だけだったが、市は地表から1センチの高さの放射線量について、小中学校は毎時3・8マイクロ・シーベルト以上、保育所や幼稚園では同3・0マイクロ・シーベルト以上の場合は表土を除去するという独自の基準を設定。県の調査結果を基に、除去作業を進める学校、保育所を決めた。取り除く表土は厚さ1~2センチを予定し、早ければ今週末から行う。除去した土は、市内の最終処分場に破棄する。

警戒区域の死んだ家畜に消石灰=福島県

悲しいですね・・・せめて、土に還してあげたいですが・・・

福島県は25日、福島第1原発から半径20キロ圏内の警戒区域にある南相馬市の畜産農家に立ち入り、畜舎外で死んでいた計8頭の子牛に衛生状態の悪化を防ぐ消石灰を散布したと発表した。散布後、ブルーシートで覆った。県は、所有者の同意があれば生きた家畜の殺処分を行う方針だが、この日は殺処分を行わなかった。
 県農林水産部によると、家畜保健衛生所の獣医師ら6人が2班に分かれ、9カ所の農場で約6時間作業。26日は田村市に入る。

2011年4月24日日曜日

津波に強かった「1階吹き通し」再使用できるケース多く 建築学会が報告

地震には弱そうに思ってましたけど、そうでもなかったのですね。津波にも強いとなると、今後更に増えるでしょうね。


東日本大震災の揺れや津波で被害を受けた建物を調べた結果、1階部分が吹き通しになった「ピロティ型」の建物が、津波に強かったことが、東北工業大学の田中礼治教授らの調査で分かった。沿岸部では、ほとんどの木造家屋が流失している一方で、鉄筋コンクリート構造の建物の多くが再使用できる状態で残っていることも判明した。

 23日に大阪市内で行われた日本建築学会の「緊急調査報告会」で報告した。

 ■「ピロティ型」衝撃少なかった?

 田中教授らは、仙台市など宮城県の沿岸部を調査。田中教授によると、津波で木造家屋が壊滅的被害を受けた地域でも、鉄筋コンクリートの建物は、基本構造に大きな被害がなく、再使用できるケースが多かったという。鉄骨構造の建物も一部は残っていたが、基本構造が変形し、再使用は厳しい状態だった。

 1階部分が主に柱だけで構成されているピロティ型の建物が津波に強いことも浮かび上がった。堤防から数十メートルの場所で津波の直撃を受けながら流失を免れたケースもあったといい、田中教授は「1階部分に外壁がなく、津波の力を受ける面積が小さくなるためではないか」と分析している。

 ■「重さ」で耐えた鉄筋コンクリート建築

 また防衛大の多田毅講師は「鉄筋コンクリートの建物は、それ自体の重量が大きく、津波の力に耐えることができた」と指摘。鉄筋コンクリートの建物であっても、一部津波で倒壊した例があることについては「昭和53年に起こった宮城県沖地震などで基礎部分が変形していた可能性もある」と述べた。

 同学会は今後も被災した建物の調査を進め、地震や津波に強い建築技術などを政府に提言する方針。

<福島県>教員増の見込み立たず 子供の精神的ケア停滞も

児童生徒の心のケアは必要ですよね。法や条例に捕らわれない、弾力的な運用を!


 原発事故で多くの児童・生徒が避難生活を送っている福島県で、自治体の教員数を増やす加配教員の実施見込みが立っていない。放射性物質の拡散で避難区域が変更されると、一定数が地元を離れると予測され、教員配置が確定しないためだ。新学期が始まる中、学校で子供たちに対する精神的ケアが行えない状況も起きている。

 加配は特別な事情がある自治体の教員定数を上乗せする制度。被災地への加配は95年の阪神大震災の際も行われ、兵庫県内の公立小中学校に95~09年度、年最大207人が配置された。原則担任を持たず、PTSD(心的外傷後ストレス障害)などの症状が見られる子供の精神的ケアにあたる教育復興担当教員として勤務。3年後に県教委が行った調査で、児童・生徒の4089人が「心の健康についてケアが必要」と判断されるなど、長期間PTSDに悩まされる事例が報告されている。

 07年の新潟県中越沖地震でも、柏崎市や刈羽村など計4市村の公立小中学校52校に、65人が配置された。

 今回の震災でも、文部科学省は岩手、宮城、福島の3県に対して必要な加配教員を申告するよう指示した。岩手県は震災直後に小中学校の講師を約130人新規採用し、これを加配教員として認めるよう求めている。宮城県も今月下旬までに、ほとんどの小中学校で授業が再開される見込みで、百数十人規模の加配を求める方針。津波を思い出したり、余震で泣き出すなどPTSDの症状が見られる子供も少なくなく、両県とも加配教員を主に精神的ケアにあてる。

 一方、福島県は「避難している子供たちが地元に戻ってこられるか分からず、教員数が決まらない」と回答した。県教委によると、現在福島第1原子力発電所から30キロ圏内にある小学校34校、中学校18校の計52校は放射線量が高く使用していない。52校の教員は授業再開の可能性を考慮し、他校への再配置を完了させていないが、避難が長引けば100人規模の異動を行わなければならず、加配を算出する状況にない。

 22日には30キロ圏外にある飯舘村や川俣町の一部などが、年間の累積線量が20ミリシーベルトを超える恐れがある計画的避難区域に指定され、使用できない学校はさらに拡大する見通しだ。

 県教委は「避難生活で疲労している子供の精神的ケアを早期に行いたいが、放射線量が落ち着いて再開できる学校数が決まらない限り、必要人員は判断できない」としている。

投票用紙を二重交付するミス…広島・尾道市長選

こんなことが起こったら、一票の格差云々じゃなくなってきちゃいますね!


24日投票が行われた広島県尾道市長選で、70歳代の女性に投票用紙を二重交付するミスがあった。

2011年4月23日土曜日

東京や神奈川など5200世帯で一時停電

風雨が凄かったですからね。こういった停電なら、震災前も結構ありましたよねえ・・・


 東京電力によると、23日午後6時過ぎ、東京都や神奈川県など1都2県の計約5200世帯で停電が起きた。

 同社によると、東京都中野区で4000世帯が停電したほか、神奈川県内で1000世帯、茨城県稲敷市内でも200世帯が停電した。いずれも同8時過ぎには復旧したという。同社は「悪天候により送電線に不具合が生じた可能性が高い」としている。

茨城産野菜2時間で2トン完売 神戸の大学、農家応援販売会

風評・・・なのですかね?規制値以下でも、どれくらいの数値なのか、発表してもらいたいような・・・


原発事故の風評被害で苦しむ茨城県の農家を応援しようと、流通科学大学(神戸市西区)の学生が23日、同大キャンパスで茨城県産野菜の販売会を開催。「被災地を応援したい」という市民らが行列をつくり、約2時間でほぼ完売した。

 17日に出荷停止が解除された後も茨城県産の売れ行きが伸び悩んでいると知り、同大の中内潤特別教授のゼミ生約20人が企画。生産農家から無償提供されたキャベツやメロンなど約20品目計約2トンを「風評被害に負けるな がんばっぺ茨城!」のテーマで販売した。

 2日間の販売予定だったが、初日ですべて売り切れる盛況ぶり。ダイコンやミズナを購入した同市垂水区の主婦、戸田久美子さん(52)は「阪神大震災で大変な思いをしたので、少しでも協力できれば」。販売会を企画したリーダーの同大3年生、藤園皓平さん(20)は「関西でできることを積極的にやりたい」と話した。

 売り上げは全額、提供元の生産農家に寄付するという。

米軍放射能部隊が帰国へ…自衛隊との連携にメド

彼らの出番がないことが、一番です。東電や現場作業員の方々に、期待します。


 東京電力福島第一原子力発電所の事故を受けて来日した米海兵隊放射能等対処専門部隊(CBIRF)約150人が一両日中にも帰国することになった。

 大規模な放射能漏れなどの緊急事態発生の恐れが当面は低下したと判断したためだ。約3週間の滞在中、自衛隊との共同訓練などを行い、今後想定される緊急事態の日米連携にメドを付けた。

 北沢防衛相は23日、CBIRFの離日を前に、東京・米軍横田基地で、陸自中央特殊武器防護隊との共同訓練を視察した。訓練は、放射能漏れ事故現場からの人命救助や、体の放射性物質を洗い落とす「除染」などを想定したものだった。

 防衛相は視察後、CBIRF隊員らを前にしたあいさつで、「今日ほど日本国民が米国が同盟国であることを心強く感じたことはない」と強調。「いざという時は日本に駆けつける態勢を引き続き組んでもらうことはありがたい」と今後の支援にも期待を示した。

2011年4月22日金曜日

手をつきわびる東電社長に「早く帰らせて」

いくら土下座しても、許されるべきことではないですよね。生活の全てが、失われてしまったわけですから・・・


東京電力の清水正孝社長は22日、初めて福島県内の避難所を訪れ、福島第一原子力発電所の事故について謝罪した。

 「ご迷惑をおかけしています」と床に手をついておわびを繰り返す清水社長に対し、避難者からは「仕事がなくなったがどうすればいいのか」などの訴えが相次ぎ、「早く帰らせて下さい」と、すがりつく高齢女性の姿もあった。

AED作動せず 男性死亡 滋賀・彦根

AEDに、作動しないといったことがあっては困りますね。製造元に、しっかりチェックしてもらいたいですね。




滋賀県彦根市消防本部は22日、心肺停止状態になった同市内の男性(43)の救命活動中、蘇生(そせい)用の自動体外式除細動器(AED)が作動しなかったと発表した。男性は心臓マッサージを受けて病院に搬送されたが、AEDが作動不良を起こした約1時間15分後に死亡が確認された。死因は脳膿瘍(のうのうよう)とみられており、市消防本部は「医師からは男性の死亡とAED故障の因果関係はないと聞いている」と説明している。

 市消防によると、作動しなかったのは米国・メドトロニック社製の「ライフパックCR Plus」。男性は21日夜、自宅で容体が悪化。市消防の隊員が駆けつけ、AEDを作動させようとしたところ、同じメッセージが繰り返し表示され作動しなかったという。

 同県長浜市では、今年2月、心肺停止状態の69歳の男性を救急搬送中、AEDに似た半自動除細動器が作動しない事案もあった。男性は心筋梗塞のため死亡している。

3・11に学べ! 独自の現地調査に乗り出す教育機関 

後世に伝えるべきことを、今生きている我々は学んで行かなければなりません。


東日本大震災を受け、東南海・南海・東海地震の発生で大きな津波被害が想定される和歌山県の教育機関が、「3・11」の被害や教訓を生かそうとする試みを始めた。教員が現地調査を行って授業に取り入れる学校もあり、臨場感のある調査報告が生徒らの防災意識を刺激している。

 東南海・南海・東海の連動地震では約6・7メートルの津波が24分で到達し、家屋701棟が全壊すると予想されている御坊市にある国立和歌山工業高等専門学校。今月20日、週1回のロングホームルームで臨時の防災授業が始まった。

 災害に強いまちづくりを学ぶ環境都市工学科など1~3年の生徒計約160人を対象に、教員が震災後に福島、茨城などの被災地で独自調査した結果を報告。地震動と津波、液状化の3テーマを各学年ごとに解説する。生徒の研究意欲向上に役立てるねらいだ。

 同科の辻原治教授(地震工学)は「地震動」の授業で、被災地の写真を示しながら特徴などを解説。東南海・南海・東海地震の被害想定と比較し、「もし(想定している)3地震が日向灘地震と連動すれば、マグニチュード9・0にもなる」と和歌山県での対策の重要性を訴えた。

 3年生の斉藤聖也さん(17)は「現在の想定についてこれまで詳しく調べたことがなかった。ひとごとと思わず情報交換して対策を考えなければ」と話していた。

 一方、地域の防災リーダーを育てる講座などを開いている和歌山大学防災研究教育センターも、岩手県陸前高田市などでの現地調査をふまえた新たな教育プログラム作りに乗り出した。今回の震災発生直後の和歌山県内の避難所や津波想定地域の避難状況も調査しており、課題を検証する。

 また、同センターは県内の各市町村教委にもプログラムへの参加を呼びかけている。6メートル級の津波が想定される海南市ではプログラムに基づいて実践的訓練などを学校現場で行うために、来月から小学校や同センターとの協議を始める予定だ。同センター事務局の中筋章夫・創造教育課長は「防災に無関心な大人に訴えるには、子供への教育が大切。小学校や地域ぐるみで取り組めるようにしたい」としている。

2011年4月21日木曜日

「母を畳の上で死なせたい」警戒区域に残る住民

個々のケースがあるにしても・・・うーん・・・意思を尊重すべきなのでしょうかね・・・?


警戒区域に含まれる福島県楢葉町では21日夕、東日本大震災の発生以来、避難指示に従わず町に残っている元会社員夫婦が産経新聞の電話取材に答え、「たとえ自分たちは被曝(ひばく)しても、寝たきりの母を畳の上で死なせてあげたい」と理由を話した。

 福島第2原発が立地する町は、約7800人のほぼ全員が県内外へ避難した一方、今月上旬の時点で13世帯17人が町に残っていた。地元町議らによると、これら13世帯も大半は21日までに避難指示に従ったが、この夫婦ら数世帯が残っているとみられるという。

 夫婦によると、実母(91)が10年近く寝たきりのため、在宅介護を続けてきた。妻は「こういう年寄りを移動させたら必ず体調を崩す。体育館の避難所は寒いというし、実際に避難中に亡くなったお年寄りもいる。母も恐らく死ぬしかないだろうと思った」。

 震災以降、県警が2回、自衛隊が1回、「ヘリコプターで搬送する」などと説得に来た。町がゴーストタウンと化し上下水道など生活インフラがすべてストップする中、20キロ余り離れたいわき市まで出かけて食料品や新聞を買い、洗濯をしているという。

 警戒区域の指定はラジオと新聞で知るだけで行政側からの説明はないという。妻は「個々の状況を見て特例的なものを検討していただきたい。とにかく母を看取りたいだけ。もし万が一、第1原発が爆発して被曝しても、それは自分たちの選んだ道だから覚悟している」と話した。

2歳女児に暴行、23歳男逮捕=同居女性の娘、その後死亡―埼玉県警

鬼畜ですね・・・なんでこんなことができるのでしょうか・・・


同居女性の長女(2)に暴行しけがをさせたとして、埼玉県警幸手署は21日、傷害容疑で同県幸手市東、アルバイト中沢良仁容疑者(23)を逮捕した。女児はその後病院で死亡し、同署は暴行との因果関係も調べる。
 同署によると、容疑を認め「言うことをきかなかったからやった」と話しているという。
 逮捕容疑は19日午後7時ごろ、自宅アパートで、女児の腹をかんだり殴ったりするなどの暴行を加え、約10日の軽傷を負わせた疑い。
 同署によると、中沢容疑者は女性、女児と同居していたが、当時、女性は外出していた。翌20日夜、女児が風呂場で意識を失ったため、中沢容疑者が119番。病院に運ばれたが、21日未明に死亡した。 

福島第1原発 牛に「ごめん」 警戒区域化で最後の世話

辛いですね・・・戻って、生活できるようになる日はくるのでしょうか・・・?


「一時帰宅はどこまで認められるのか」「放射線量が高いのに大丈夫なのか」。福島第1原発の20キロ圏内を22日午前0時から立ち入り禁止にするとの21日の政府発表を受け、福島県内外で避難生活を送る約7万8000人の住民に大きな波紋が広がった。一時帰宅への期待が高まる一方、やり残したことを「最後の1日」で済ませようと圏内を行き来する人の動きも目立った。原発事故の影響は圏内で暮らしていた約7万8000人の営みを翻弄(ほんろう)し続けている。



 ◇楢葉町牧場主

 同県楢葉町の蛭田(ひるた)牧場。20キロ圏外のいわき市に避難している経営者の蛭田博章さん(42)は21日、約130頭の牛たちに最後の餌を与えた。強制力のない「避難指示」の段階では、3日に1回のペースで餌やりのため牧場に入っていたが、22日午前0時以降は不可能になる。蛭田さんは「何もしてやれず、ごめん」と牛たちにわびた。

 この日、蛭田さんが干し草を積んだトラックで到着すると、エンジン音を聞いた牛舎からは一斉に鳴き声が起きた。まず飲み水を与え、次に干し草を一列に並べると牛たちは我先にと食べ始めた。与えたのは1日分。牛が飲まず食わずで生きられるのは約1カ月が限度という。

 子牛の牛舎を見ると生後3カ月の雌牛が栄養不足で死んでおり、別の1頭が絶えそうな息で横たわっていた。蛭田さんは重機で掘った穴に死んだ子牛を埋め、瀕死(ひんし)の子牛の背中をずっと、なでた。「ごめんな、ごめんな」。涙が止まらなかった。

 立ち入りが禁止される今回の事態を前に、牛舎から牛を解き放とうと何度も悩んだが、近所迷惑になると考え、思いとどまった。最後の世話を終えた蛭田さんは「一頭でも生かしてやりたかったけど、もう無理みたいです。次に来るときは野垂れ死にしている牛たちを見るのでしょう。つらいです」。それ以上、言葉が続かなかった。

 ◇検問で列

 政府による「警戒区域」の設定が発表された21日、福島第1原発の半径20キロ圏に取材で入った。主要道路は、警戒区域に切り替わる22日午前0時より前に圏内の自宅から荷物を持ち出そうとする住民の車で混雑した。

 国道6号の原発20キロ地点に設置された楢葉町の検問所も列ができていた。警察官は「今日までは立ち入りを認めているが、明日からは完全に入れなくなる」と説明し「短時間で出てください。出た後は(被ばくの有無を調べる)スクリーニング検査を受けてください」と念押ししていた。

 夕方、圏内からUターンを始めた車には、多くの家財が積まれていた。マスク姿の運転者が目立ち、防護服代わりのような雨がっぱで頭を覆った女性もいた。荷台に犬を乗せた軽トラックも通り過ぎていった。

 この日、出会った楢葉町の森田孝広さん(35)は家財道具を持ち出すためトラックを借りて「家にある7割くらいは持ち出した」という。仕事があるため妻と小1の長男、1歳の長女を東京の実家に預け、いわき市内で単身の避難生活を送る。自宅が警戒区域になることに「何も考えられない。目の前で起きることを一つ一つこなしていくだけ」とうつむいた。

 町内には今回の問題を生み出した原発の復旧に当たる前線基地「Jヴィレッジ」がある。施設内では、この日も多くの作業員が防護服に身を包み、原発に向かうワゴン車やバスに乗り込んでいた。

 スクリーニング検査を実施しているいわき市保健所によると、この日は圏内の楢葉町や富岡町にいったん戻った人を含めた検査が平常より3割増えた。持ち出した家財道具の検査ができるかの問い合わせもあり、職員らは遅い時間帯まで対応に当たっていた。【町田徳丈、石川淳一】

 ◇郡山避難女性

 福島県内外の避難所などに身を寄せる住民の関心は、今後実施されるとみられる一時帰宅に集中した。

 最も多い避難住民を受け入れている「ビッグパレットふくしま」(郡山市)には21日、菅直人首相が訪れた。

 津波で集落全体を流された富岡町のパート、佐藤恵美子さん(50)は首相に「よろしくお願いします」と声を掛けたが、本音では「早く帰らせて」と怒鳴りたかった。震災から一度も帰宅できておらず、アルバムや思い出の品も捜したい。ただ佐藤さんは「放射線で汚れたものをそのまま避難所に持ってくるわけにもいかないだろう」と、複雑な思いをのぞかせた。

 家族4人と寝泊まりする同町の会社員、遠藤和也さん(43)は今まで2回、帰宅して通帳などを持ってきたが、両親の保険証を回収できていない。一時帰宅に期待しているが「本当はみんなで戻りたいが、放射能が怖いので子供2人は連れて行けない」と話した。

 山形県米沢市の避難所に身を寄せる浪江町の会社員、金沢良行さん(48)は警戒区域設定のニュースを知り、車を飛ばして自宅に家財道具を取りに行った。国の一時帰宅の方針については「一時帰宅は乗り合いバスで移動するというが、多くの荷物が載せられない。もう少し自由にできないのか」と訴えた。

 一方、第1原発の3キロ圏内は一時帰宅の対象外に。双葉町長塚から米沢市に避難している東電協力会社員、渡部恵丞(けいすけ)さん(32)は「一時帰宅できたら衣類や日用品、3人の子供のアルバムを持ってきたかったが……。こんなことなら自己責任で戻って回収しておけばよかった」と肩を落とした。

2011年4月20日水曜日

レトルト中心、風呂はなく=第1原発、作業環境依然厳しく―福島

ヒューマンエラーをなくすためにも、現場の方への厚いバックアップを!!


国の原子力安全委員会の小山田修委員は20日、福島市で記者会見し、19日に福島第1原発を視察した際の状況を明らかにした。作業員の食事は1日2食から3食に改善されたが、レトルト食品が中心。野菜は食べられず、風呂にも入れない状況が続いているという。
 小山田委員は「作業環境は相当厳しい。作業員の相当多くは第1原発に精通しており、できるだけ長く作業をしていただくためにも、健康管理を一層改善する必要がある」と述べた。
 作業員が食事や睡眠を取る免震棟については、入り口に3重扉を設置し、隙間に目張りを施すなどした結果、事故当初に比べ放射線量はかなり軽減され、防護マスクの着用は不要になったという。 

事故後初めて…原子力安全委員が原発視察

存在意義は?何のためにお金をもらっているのか?早く対応してください・・・


東京電力福島第一原子力発電所の事故をめぐり、原子力安全委員会の小山田修委員(原子炉構造工学)は20日、福島市内で記者会見し、委員として初めて19日に同原発を視察したことを明らかにした。

 小山田委員は、事故から1か月以上経過しての視察について「当初は、現場が次から次へと事象が変化するのに対応することで手いっぱいだった」と釈明。「ずっと助言活動に対応していた」などと語った。

 小山田委員は19日、約5時間にわたって作業拠点の免震重要棟などを視察。吉田昌郎所長や100ミリ・シーベルトを超える被曝をした作業員と面会し、現場の状況を聴取した。

クラスター爆弾使用を非難=国連人権弁務官

全然沈静化の兆しがみられませんね。クラスター爆弾は、使っちゃいかんでしょう・・・


ピレイ国連人権高等弁務官は20日の声明で、リビア政府軍が中部の都市ミスラタを攻撃した際、条約で使用が禁止されているクラスター(集束)爆弾を用いたとされることを強く非難した。また、医療施設を意図的に狙った攻撃は戦争犯罪に当たると述べ、戦闘停止を訴えた。 

2011年4月19日火曜日

福島から全国へ避難、生活3万人 避難先での風評被害対策が急務

県内への避難者も含めたら、相当数ですよね。戻れるといいですね・・・


福島県は19日、東日本大震災と東京電力福島第1原発の事故後、県外の避難所や公営住宅などで暮らしている人が2万9833人に達したと発表した。全国の都道府県に問い合わせ、岩手、宮城を除く45都道府県から回答を得た。

 震災後、福島県の全域に設けられた避難所は津波などの被災者でほぼ満杯となり、原発周辺の住民で県内に行き先がなくなった人が県外に避難した。

 避難者数が最も多かったのは、南相馬市などから集団避難した新潟県で、7651人。続いて多かったのは、双葉町が役場機能を移すなどした埼玉県で、3524人だった。このほか、群馬県(2948人)▽栃木県(1767人)▽山形県(1687人)▽秋田県(1140人)▽東京都(1097人)-が1千人を超えた。

 沖縄県(129人)や鹿児島県(54人)など、遠方に避難した人もいた。

 全国的に受け入れが進む一方、避難先でいじめや差別を受ける例も少なくない。福島県には、「飲食店に、福島ナンバーの車での入店を拒否された」「首都圏の専門学校では、福島出身者に自宅待機を命じている」といった報告や相談も寄せられている。

 このため、佐藤雄平知事が19日の災害対策本部会議で「政府で風評被害防止の対応をしてほしい」と政府関係者に求める場面もあった。

福島原発汚染水処理、来月末めど=毎時50トン除染へ―仏アレバ

期待しましょう。全ての、有効なノウハウを駆使してください!


来日中の仏原子力大手アレバのロベルジョン最高経営責任者(CEO)は19日、都内で記者会見し、福島第1原発内にたまっている放射能汚染水の除染システムを5月末に稼働するよう東京電力から要請されているとした上で、実現に向け全力を尽くすと表明した。
 同CEOによると、自社施設で既に導入している「共沈」と呼ばれる除染方法を採用し、汚染水中の複数の放射性物質を一緒に沈殿させる。一時間当たり約50トンずつ除染することが可能になり、「汚染の度合いは1000分の1~1万分の1になる」(同CEO)という。
 また、海水脱塩のための「蒸発管」を他社と共同で供給することを明らかにしたほか、使用済み核燃料の処置や、原発周辺地域を含めた土壌除染などでも協力する用意があるとした。
 さらに、東電が事故収束への工程表を発表したことについて、「(原発は)非常に大きな損傷を受けており、出たことは前進」と評価した。 

規制値28倍のセシウム検出=福島県いわき市沖コウナゴ―厚労省

セシウム・ヨウ素以外の放射性物質は?ストロンチウムやプルトニウム・・・気になりますよ。


厚生労働省は19日、福島県いわき市沖で採取された小魚のコウナゴから、食品衛生法の暫定規制値の約28倍に当たる1キロ当たり1万4400ベクレルの放射性セシウムが検出されたと発表した。
 検出されたのは、18日に採取された2検体のうちの1検体。同2000ベクレルが規制値の放射性ヨウ素131も3900ベクレルが検出された。別の1検体はいずれも規制値を下回っていた。 

2011年4月18日月曜日

東日本大震災 その時なにが…大川小、津波で多くの犠牲者

どう対応するのが、一番よかったのでしょう。こればかりは、分かりませんよね。すぐに避難しても、全員がいるか確認できたか・・・


全校児童108人中死者64人、行方不明10人と、学校では東日本大震災最多の犠牲者が出た宮城県石巻市立大川小学校。追波湾(おっぱわん)から同市長面(ながつら)地区に上陸した津波は、湾奥部の北上川河口から約4キロにある大川小の2階建て校舎、そして校庭から避難し始めた子どもたちと先生の列をのんだ。住民や関係者の証言から、激しい揺れにパニックに陥った学校の惨劇が浮かび上がる。

 ◇その時

 「ありがとうって伝えたくて」。3月11日午後、2階の4年生の教室に、育ててくれた父母への感謝の気持ちを込めた子どもたちの歌声が響いていた。10歳を祝う「2分の1成人式」の記念DVD用に、担任の佐々木芳樹先生(27)が録音していた。武山詩織さん(10)は振り返る。「2番にいかないくらいだったかな」。激しい揺れに歌声が悲鳴に変わった。校内は停電。机の下に入った子どもたちは先生の指示で校庭の真ん中に集まった。

 先生たちは児童を座らせ、点呼を取った。近所の人たちも避難してきた。当日、娘の卒業式で市外にいた柏葉照幸校長(57)は「この時、恐怖と混乱から泣き叫んだり、嘔吐(おうと)したりする子どももいた」と後日、報告を受けた。学校は、混乱していた。

 自宅から車で詩織さんを迎えに来た母久美さん(38)は学校到着を午後3時25分ごろと記憶する。「名簿を手に、迎えに来た保護者や避難住民に応対する先生たちもいた」。詩織さんを車に乗せ、アクセルを踏んだ。「津波はここまで来ない」と思いつつも、北上川より5メートルほど高い堤防近くの新北上大橋に向かい、さらに標高のある南を目指した。

 避難を呼びかけるため広報車で河口に向かった市職員、武山泰徳さん(53)は3時20分ごろ、学校から約1キロ海側の墓地近くにいた。「沿岸の松林の奥に水しぶきが見えた。津波だと思った」。Uターンして拡声機で繰り返した。「津波です。避難して」

 ◇黒い波

 大川小がある釜谷(かまや)地区の東隣、長面地区の農業、三條昭夫さん(75)は、妻喜久子さん(72)と車で釜谷地区に向かった。「80キロほど出ていたと思う。後ろから浮世絵に描かれた波を黒く塗ったような波が、縦にぐるぐる回転しながら迫ってきた。大川小前で校庭にいる子どもたちの姿が横目に見えた」

 学校では、体育館や校舎2階に避難できるか校内を見回った先生もいたが、避難住民とともに新北上大橋のたもとにある交差点に向かうことになった。その距離約200メートル。高さは堤防や校舎の屋根とほぼ同じだ。校庭から列になって釜谷交流会館の脇を通り、裏山沿いの裏道を歩いた。

 同じ長面地区の永沼輝昭さん(70)と妻睦子さん(66)は6年の孫遼太君(12)、4年の和泉(いずみ)君(10)兄弟を迎えに車2台で学校に着いた。永沼さんは車外に出て兄弟を乗せた睦子さんと避難先を相談していた。校庭から先生と児童の列が出てきた。

 永沼さんは「列が裏道に進み出した時『バリバリ』という音とともに黒い水しぶきが来た」。睦子さんと兄弟を見失い、子どもたちに叫んだ。「山さ上がれ」。裏山の斜面に飛びついた。雪で滑り、波にのまれたが、押されるように斜面に上がった。3メートルほど先の水面に女の子がいた。そばの竹を左脇に抱えるようにして腕を伸ばし、手を握った。

 遼太君と和泉君は1週間後、遺体で見つかった。永沼さんは「近くにいたら、なんぼでも助けたんだけどな」。睦子さんは、見つかっていない。

 ◇裏山へ

 列の後方に、5年生の男の子がいた。津波の翌日、男の子を保護した顔見知りの男性によると、男の子は震災から1カ月が過ぎたころ、当時の状況をこう明かした。

 すごい音がして、津波が前から来た。腰を抜かし、その場に座り込んだ子もいた。自分で判断して、裏山に逃げた。竹林で他の男の子2人と大人十数人と一緒になり、一晩過ごした。大人が持っていたライターで火をおこした。「眠れば死ぬんだからな」と言われ、一睡もしなかった--。

 当時大川小にいた先生10人と事務員1人のうち、佐々木先生を含む9人が死亡し、1人は行方不明のままだ。助かったのは裏山を駆け上がった40代の男性教諭1人。この教諭は山を登る際、倒木で負傷しながら近くの男児1人を押し上げるように助けたという。

 ◇その後

 なぜすぐに裏山に避難しなかったのか--。大川小学校の惨劇への疑問は、この一点に集約される。

 石巻市は、大川小学校への津波到達を想定していなかった。市の「防災ガイド・ハザードマップ」は、同小を避難所として「利用可」としている。柏葉校長は「堤防を越える津波が来たらもたないので、山に避難場所をつくろうと職員で話はしていた。裏山は泥炭地でつるつる足が滑るので、階段をつくれるといいなと話していたが、そのまま震災になった」と明かす。

 校舎に残る三つの時計は、いずれも3時37分を指し止まっている。地震から津波到達まで、恐らく40~50分あった。9日の保護者への説明会では、校庭で点呼を取るなどした対応に「なんですぐに逃げろって言わなかったのか」と非難の声も出た。だが一方「108人誰も欠けないように点呼し、先生はよくやってくれた。誰が悪いと思ったことはない」と話す保護者もいる。

 狩野あけみさん(42)は避難所から学校周辺に通い、今も毎日、行方不明の三姉妹の末っ子、6年生の愛さん(12)を捜す。「あの日、自転車で『行ってきます』って出かけたままで。私はずっと待ってる。もう帰ってきてもいいころだよ」

「コンビニ店つぶすわけには…」両親不明の長女が営業再開

強く、前を向いてますね。自分が同じ立場になったとき、どういう風になるか・・・


東日本大震災は街の小売店にも甚大な被害を与えた。宮城県気仙沼市でオーナー夫妻が行方不明になったコンビニ店を「このままつぶすわけにはいかない」と、夫妻の長女が、電気もつかない中で営業を再開させた。両親が見つからない悲しみと不安をこらえながら、来店客に元気な笑顔を見せている。

 営業を再開したのは、気仙沼市の国道45号沿いにある「ローソン気仙沼東八幡前店」。停電で店内は暗く、精算は電卓。商品も限られているが、「いらっしゃいませ」と元気な声が響く。

 店を切り盛りしているのは、熊谷こず恵さん(29)。市内でチェーン2店舗を経営していたオーナーの父、松市さん(54)と母、みどりさん(57)はいまだ行方不明だ。祖父の栄一さん(83)は遺体で見つかった。

 津波が襲った3月11日。松市さん夫妻は、自宅近くで経営する別の店舗にいた。こず恵さんは地震発生直後、いったん店に戻り、子供と従業員とともに車で逃げたが、気仙沼湾の方向から波が押し寄せてくるのが見えた。

 こず恵さんが店を出るとき、松市さんは店内でラジオの地震情報に耳を傾けていた。津波から逃げる車のバックミラー越しには、店の駐車場を歩いている母の姿を見た。それが最後だった。

 こず恵さんが逃げようとした方向からも津波が向かってきた。車を乗り捨て、近くにあった2階建ての病院に駆け込んだが、2階部分まで水が迫ってきたため、院内にいた人たちと屋根の上に避難した。

 何度も押し寄せる津波と火の手におびえながら、避難した人たちと肩を寄せ合い、ぬれた服のまま一晩を過ごした。命からがら津波から逃げたこず恵さん。

 「母とは子供のことで口げんかしたのが最後の会話。まさか、あんな津波がくるなんて思わなかったから…」

 失意の中、こず恵さんは、両親が経営していた店の一つが、市内にあった同系列チェーンで唯一残った店舗だったと知った。両親の捜索や、壊れた自宅の片付けなどやることは山ほどあった。それでも「家も何もなくなってしまい、残ったのはあの店だけ。店が開くのを待っている人がいる」と、従業員と話し合って再開を決意した。

 松市さんの夢は、こず恵さんら3姉妹にそれぞれチェーン店を持たせることだったという。「残った店をつぶすことはできない。店を守るのが私の役目です」。こず恵さんは、力強く前を見据えた。