2011年4月15日金曜日

自らも濁流に飲み込まれ 5人救った宮城の町職員

「助けてくれ」「俺はここだ」・・・聞こえていても、どうすることもできない無念さ。苦しいですね・・・
この方は、5人も助けて凄いですね!


東日本大震災の発生直後、津波で1キロ近く流されながらも5人の住民を助け出した宮城県七ケ浜町の新人職員が、町のボランティアセンターの担当者として復興活動の最前線に立っている。生まれ育った町で働きたいと6年間勤めた東京の企業を辞め、今月入庁したばかりの町職員、木村允さん(29)。ボランティア活動に町の中高生らが次々と参加するのを目の当たりにした木村さんは、「若者が頑張る町は絶対によみがえる」と自らを奮い立たせている。


 車を止めて海の方を見ると車を飲み込みながら真っ黒な濁流が迫っていた。

 「うそだろ…」。あの日、宮城県多賀城市内で津波に遭遇したときのことを木村さんは克明に覚えている。東京の会社を前日退職したばかり。地震の揺れを感じ、宿泊していた仙台市内の姉方から、自宅の様子を見に行く途中だった。

 いったん車外に出たがすぐに顔まで届くような波に襲われた。あわてて車の屋根にしがみついたものの、強い流れに車ごとさらわれ、膨大ながれきと一緒になすすべもなく流された。ガラス壁や窓がなくなった紳士服店、ゲームセンター、パチンコ屋…。めちゃくちゃに壊れたいくつもの建物を通り過ぎた。

 冷たい水に体力が徐々に奪われていく。「もうだめか」。そのとき偶然、近くの植え込みの木に手が届いた。必死の思いでしがみついた木に登り、そこから近くの住宅の2階のベランダへと転がり込んだ。

 ベランダから周囲を見ると、近くを流れる車の屋根の上に、2人の幼い子供を抱えた女性がいた。

 夢中で水の中に飛び込んだ。180センチの身長でかろうじて地面に足がついた。両腕に子供を抱え、女性とともに再び住宅へ。その後も同じように車ごと流されていた2人を助けた。

 6人は住宅で夜を明かした。「助けてくれ」「俺はここだ」。周りからは、がれきに埋もれているとみられる人たちの叫び声が一晩中聞こえてきた。

 「なかなか引かない海水と大量のがれきで、どうすることもできなかった」。木村さんは無念そうに振り返る。

 「助けられなかった人に申し訳ない」という思いで、入庁前の先月16日から、ボランティアセンターで救援物資の受け入れ作業に参加。4月に町職員になった後もセンターの業務を担当することになった。

 「町の再建などできるのだろうか」。変わり果てた故郷の姿を目にし、途方に暮れることもあったが、町の若者たちが次々とボランティア活動に参加するのを見て「必ず復興できる」と思い直すようになった。

 町のボランティアセンターの登録者は約千人。このうち約8割を中高生が占める。木村さんは若いボランティアたちから「キム兄」と慕われる存在だ。

 「この若者たちの手で町を復興させたい」。そんな思いが、木村さんを仕事に駆り立てている。

0 件のコメント:

コメントを投稿