強く、前を向いてますね。自分が同じ立場になったとき、どういう風になるか・・・
東日本大震災は街の小売店にも甚大な被害を与えた。宮城県気仙沼市でオーナー夫妻が行方不明になったコンビニ店を「このままつぶすわけにはいかない」と、夫妻の長女が、電気もつかない中で営業を再開させた。両親が見つからない悲しみと不安をこらえながら、来店客に元気な笑顔を見せている。
営業を再開したのは、気仙沼市の国道45号沿いにある「ローソン気仙沼東八幡前店」。停電で店内は暗く、精算は電卓。商品も限られているが、「いらっしゃいませ」と元気な声が響く。
店を切り盛りしているのは、熊谷こず恵さん(29)。市内でチェーン2店舗を経営していたオーナーの父、松市さん(54)と母、みどりさん(57)はいまだ行方不明だ。祖父の栄一さん(83)は遺体で見つかった。
津波が襲った3月11日。松市さん夫妻は、自宅近くで経営する別の店舗にいた。こず恵さんは地震発生直後、いったん店に戻り、子供と従業員とともに車で逃げたが、気仙沼湾の方向から波が押し寄せてくるのが見えた。
こず恵さんが店を出るとき、松市さんは店内でラジオの地震情報に耳を傾けていた。津波から逃げる車のバックミラー越しには、店の駐車場を歩いている母の姿を見た。それが最後だった。
こず恵さんが逃げようとした方向からも津波が向かってきた。車を乗り捨て、近くにあった2階建ての病院に駆け込んだが、2階部分まで水が迫ってきたため、院内にいた人たちと屋根の上に避難した。
何度も押し寄せる津波と火の手におびえながら、避難した人たちと肩を寄せ合い、ぬれた服のまま一晩を過ごした。命からがら津波から逃げたこず恵さん。
「母とは子供のことで口げんかしたのが最後の会話。まさか、あんな津波がくるなんて思わなかったから…」
失意の中、こず恵さんは、両親が経営していた店の一つが、市内にあった同系列チェーンで唯一残った店舗だったと知った。両親の捜索や、壊れた自宅の片付けなどやることは山ほどあった。それでも「家も何もなくなってしまい、残ったのはあの店だけ。店が開くのを待っている人がいる」と、従業員と話し合って再開を決意した。
松市さんの夢は、こず恵さんら3姉妹にそれぞれチェーン店を持たせることだったという。「残った店をつぶすことはできない。店を守るのが私の役目です」。こず恵さんは、力強く前を見据えた。
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