しっかりとしたマニュアルを作っていないと、いざというときに動けないってことだよね、今の日本人は。これじゃダメなんだけど、マニュアル整備はしっかりしておかないと。
東日本大震災の津波で児童74人、教職員10人が死亡・行方不明となった宮城県石巻市立大川小学校の保護者に対し、石巻市教育委員会は22日、約7カ月半ぶりに説明会を開いた。同小の柏葉照幸校長は「職務上の怠慢があったと言われても仕方がない。本当に申し訳ない」と謝罪した。大川小の被災を巡って市教委が明確な謝罪をしたのは初めて。境直彦教育長も「天災と人災の両方の面があったと思う」と述べ、保護者からは「防災対策の不備が惨事を招いた」などと怒りの声が上がった。
説明会は4月、6月に続き3回目で、大川小の間借り先である石巻市内の飯野川第一小学校で開かれた。
柏葉校長は同小が作成していた「危機管理マニュアル」を説明。津波被害が予想される地震などの災害時の避難先について「高台や空き地」などと記載していたが、具体的な場所や地名を示していなかったことを明らかにした。「教員らもどこへ逃げるべきか分からず、判断の遅れが出たのかもしれない」などと述べた。市教委は児童らからの聞き取り調査を基にまとめた報告書にも「避難場所を定めていなかったことにより、高台避難が迅速に判断できなかった」と記載した。
また大川小では▽年1回の地震を想定した避難訓練も、児童が校庭に避難した時点で終了していた▽緊急時に迎えに来た保護者らに児童を引き渡す訓練も計画されていたが、実施されたことはなかった--ことも明らかにされた。境教育長は「教育委員会として、学校が定めた防災計画や避難訓練の取り組みの効果的な実施を指導するなど、津波に対する危機意識を高めておくべきだった」と述べた。
会は午後2時から始まり、約3時間半に及んだ。4年と5年だった2人の子を失った高橋春夫さん(52)は終了後、「言い訳だけで、無責任。子供たちの命を守るという教育現場の危機感のなさにがっかりした」と怒りの声を強くした。3年と4年の男児を亡くした父親(52)は「これでは学校の怠慢のために子どもたちが殺されたようなもの。まさしく人災だ」と憤った。【竹田直人、石川忠雄】
◇石巻市立大川小学校の被災経緯◇
石巻市教育委員会の調査などによると、東日本大震災が起きた昨年3月11日、大川小の児童や教員が避難を始めたのは、大地震発生から約45分後の午後3時半ごろ。小学校から一番近い高台だった裏山は「地震による倒木の恐れがある」との意見が出たため、約200メートル西の新北上大橋たもとの交差点を目指したが、裏山沿いの道を歩いていた時に津波にのまれた。
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