子どもたちのあいさつ文が、なんとなく寂しさを感じる・・・復興を担う人材になって欲しいですね。
福島県内のほとんどの公立小中学校で2学期が始まった27日、旧緊急時避難準備区域の広野町は約1年半ぶりに本来の校舎で授業を再開、広野小(同町中央台3)で小中学校など合同の再開式があった。多くの子は県内外に避難したままで、通学するのは小学生65人(在籍者の23.6%)、中学生31人(同18.5%)。避難生活の長期化や放射能汚染への不安が背景にある。
1学期までは隣のいわき市の学校に間借りしていた。同市の仮設住宅から通う広野中2年、大出知佳さん(14)は「(町内のサッカー施設)Jビレッジのアカデミーに通う同級生らが戻って来られないけど、一緒に手作りした時と同じように文化祭を盛大にするのが夢です」と声を弾ませた。
町は住民帰還を促すため、優先的に除染するなどして学校再開にこぎつけた。子どもたちは避難先で友達ができた一方、保護者は放射線量に加え、除染などの作業員があふれる町の雰囲気に不安を感じ、人口約5500人のうち帰還した町民は440人にとどまる。
福島第1原発事故に伴う緊急時避難準備区域が昨年9月に解除された5市町村のうち、本来の学校での再開は南相馬市、川内村に続き3番目。田村市は来春再開予定、楢葉町は同区域に学校がない。
以下は町立広野小で27日、行われた小中学校などの合同の再開式でのあいさつの全文。
◇広野中3年、遠藤敦也さんのあいさつ
平成23(2011)年の3月以来、約1年半という時間が経過して、ようやく広野に帰ってくることができました。震災前の見慣れた風景と、今見る広野の景色はいろいろな点で違うことが目に付きます。
海岸線の家並みが少なくなったこと、海までがぐっと近く感じること、屋根の修復を進めている家々、でこぼこや段差を直した道路、新しくできたプレハブや仮設住宅……。見慣れた景色と目新しい景色が交錯して、懐かしいのにどこか新鮮な感じを受けます。震災の爪痕を感じるとともに、広野の人たちが元の姿に戻ろうと一生懸命になっているエネルギーを感じることができます。
広野中の生徒として(いわき市の)湯本二中に通っていた1年生や2年生にとっては、初めて入る中学校の校舎です。私たち3年生にとっては、入学式も中学校生活もここがスタートでした。1年生の1年間をここ広野中で過ごしました。
しかし、震災後みんなばらばらになり1年半をさまざまな場所で送りました。そしてきょうから私たちは中学校生活の残り半年を広野で過ごすことができます。広野中の生徒として卒業できること、最後の締めくくりを広野中の校舎で過ごすことができることを幸せに思います。
今まで広野中以外の学校への転校を繰り返してきた私たちですが、ようやく安住の地を手に入れたような気がします。
住居が変わったり、学校が変わったりするたびに、また新しいスタートだ、一から出直しだ、気持ちを切り替えていこう、とそのたびに新しい生活、新しい自分と言い聞かせて、環境に適応させようとしてきました。しかしどこかで無理に自分を変えようとしてきた気がします。転校の度に、萎縮してしまったり、緊張してしまったり、背伸びをしてしまった自分がいました。
しかしもう、その必要はないかもしれません。広野に帰ってくれば、本来の自分を取り戻せる気がしますし、元の場所で、等身大の姿で、新しいスタートを切れる、そんな安心感を感じます。
私たち3年生は、卒業式をここで迎えます。残りの半年を1、2年生と一緒に協力して、充実した毎日を過ごしていこうと思います。
◇広野小6年、園部隆太君のあいさつ
3月11日の東日本大震災による原発事故のため続いていた避難も終わり、きょうから広野小学校での学校生活が始まりました。僕はまたこの校舎で勉強や運動ができると思うと、とてもうれしいです。また、震災前、4年間も通った校舎なのにとてもなつかしい気がします。
僕は2学期の目標として次の三つを決めました。一つ目は、勉強を頑張るということです。特に社会を頑張りたいです。二つ目は、日本一のあいさつをするということです。前よりも人数は少なくなりましたが、みんなで元気なあいさつができるようにしたいです。三つ目は、健康な体を保っていくということです。元気に校庭を走り回りたいです。
まだまだ避難生活は続いています。また、多くの友達が別の学校へ転校してしまいました。とても残念ですが、きょうから僕たちの手で、この広野小学校に新しい伝統を築き上げていきたいと思います。そして、いつの日か、この広野小学校で全員が再会できる日を楽しみにしています。
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