とっても切ないですね。早く見つかるといいですね。
「どこにいるの、巴那(はな)ちゃん…」
宮城県石巻市立大川小学校では、今も児童4人が行方不明のまま。その一人、鈴木巴那さん(当時9)の母、実穂さん(44)は小学校や津波で流された自宅周辺で手がかりを捜す毎日だ。巴那さんの兄で当時6年生の堅登君(12)と義母の好子さん(72)は、昨年3月に遺体で見つかった。
震災500日目の7月下旬にお墓が完成した。実穂さんの実家に近い高台の墓地には震災犠牲者の新しいお墓が並び、同じ年頃の子供のものも。
「近くだから友達になってね」。実穂さんはお墓に声をかける。
今春、実穂さんが見た巴那さんの夢は今もはっきりと記憶に残る。「AKB48のような、赤と黒のチェックのスカートにベストを着た成長した姿」(実穂さん)だった。「あんなおしゃれをしたかったのかな」。同じような洋服を買った。
納骨の際には実穂さんの実家と自宅、大川小学校のひと握りの土と、新たに買った洋服を埋葬した。「体の一部でもいい。早く見つかってお兄ちゃんたちと一緒にしてあげたい」。そして「桜の木が並ぶ高台のお墓の前で家族そろってお花見がしたい」。そんな思いを実穂さんは語る。
ある日曜日の早朝、夫の義明さん(50)と2人、実穂さんは真新しいお墓の手入れに汗を流した。墓標には「燦 親として子として共に歩んだ道」と刻まれている。午後には夫婦で大川小学校の祭壇を清掃した。
実穂さんが探しているのは、娘の巴那さんだけではない。多数の行方が分からない地域の人たちと大川小の4人全員だ。
「最後の1人が見つかるまで、できる限りのことをしてあげたい」。強い思いを込めた地道な作業が続く。
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