幼い兄弟が暮らす仮設住宅は坂の上にあった。3月上旬、岩手県陸前高田市。及川律(りつ)ちゃん(5)と弟の詠(えい)ちゃん(3)は勢いよく玄関から飛び出し、そろいの長靴で雪の上を跳ね回った。
まだ津波の爪痕が残る街では、わずかなスペースも貴重な遊び場だ。大雪が降った後は父克政さん(34)が仮設の前に「かまくら」を作り、2人で入ってラーメンを食べた。
母久美子さん(当時32歳)と家族で暮らしたアパートは津波で流された。克政さんは幼い兄弟を連れて義父母宅に身を寄せ、昨年7月に3人で仮設住宅に入った。カーテンやソファ、こたつ布団、室内は妻が好きだった白にそろえた。部屋に飾った久美子さんの写真がほほ笑む。「ママが幸せに暮らせますように」。2人は公園で見つけた四つ葉のクローバーを供えた。
市職員の克政さんは毎朝、保育園に2人を送ってから職場に向かう。2人を迎えに行くのは祖母まみ子さん(62)の役割だ。兄弟は「ジイジ、バアバ」の家で、父の仕事が終わるのを待つ。
夕食は3世代そろって食べる。詠ちゃんは祖母の手料理が大好き。「料理上手は、0番がママ、1番がバアバ」。ラーメンサラダを作った克政さんが「ママも作ってくれたよね」と言うと、詠ちゃんは「それは言わないで。ママがいないの悲しいね。会いたいね」と返した。震災直後は言わなかった寂しさを、最近は口にする。
母を亡くした時、兄弟は4歳と2歳。「死を理解できない年ごろ」と、大人たちは思ったが、幼い心はしっかり受け止めていた。
久美子さんは勤務先の図書館に隣接する体育館に避難し津波に遭ったという。壊れた図書館の近くを通ると、2人は「図書館だ」と叫び落ち着きをなくす。「がれきの見えない場所で遊ばせたい」。克政さんは時々、内陸の公園まで車を走らせる。
「子供の前では泣かない方がいいのかもしれない。でもかわいい仕草を見ていると、妻に見せられないのがつらい」と克政さんが涙ぐむ。律ちゃんは「悲しくないよ。パパと暮らしてるから」と言った後、「でも本当はさびしいよ」とつぶやいた。律ちゃんはママと車の中で聴いた戦隊シリーズのCDばかりを聴いている。
窓際に詠ちゃんが立つと、律ちゃんは「ママから見えなくなる。だって見てるもん」と口をとがらせる。幼い2人は葬儀に参列し、納骨もした。ママがいつも空から見守っていると信じている。
夕食を終え、仮設住宅へと帰る道。兄弟は夜空を見上げ、パパが教えてくれた「ママの星」を探す。「一番きれいな星なんだ」。だから、必ず見つけられる。
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